ボイストーレーナーになったのは運命
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こんにちは。ボイトレ教室のムラーラミュージックオフィス代表の宮島です。
今日は私がボイストレーナーになったきっかけについて。私がボイストレーナーになったきっかけは実に運命的。
というのも、一番初めに勤めた音楽教室で始めはピアノを教えていた私は、ただただ生徒たちのやる気のなさに愕然とし、
「これが真の音楽教育なのか?」
と感じていた。それはやめさせない教育と言わざるを得ないほどのものだった。
会社の面接時に上司に「もう辞めます」とあっけなく説明した瞬間、上司が眉をひそめて3分間黙った。しかし返ってきたのは「歌をやってみませんか?」という意外な反応で花形教室でのレッスンが出来るというちょっと華やかな理由でその場で即答した。
初めて来た生徒さんは忘れもしないMさん。Mさんの旦那様は海外出張になりアラスカへ。とても品のある30代の女性で、英語も堪能。ドリカムのような曲が歌いたいといって来たのだった。そして私はいきなり生徒さんに
「すみません、私 高い声が出ません」
と言ってしまい、生徒さんは目がまん丸くなってしまった。
「何言ってるのこの先生?」っていう後味のわる雰囲気が醸し出されていた。
しかしそれは本当にその通りで、大学の音楽学部の教育科で声楽を勉強していた私はイタリア帰りの先生に 「あなた本当はとっても低い声なの、だから高い声は出ない」
と言われて、地声の、それもほぼ女性の一オクターブ下ぐらいの音域でずっとクラシック声楽をしてきたのだ。そんな私を当時の声楽の先生は、こう言った。
「あなたの声は日本では需要がない、イタリアに来て伴奏のピアノも勉強するといい、ピアノも上手だし、声も良いから必ず活躍の場がある」しかし、両親から大学4年間以上のお金は一切出せないといわれていたのだ。
そんな声の低い私は、「女性の生徒さんに、歌って見本が示せない」って思うと本当に冷や汗ものだった。しかし、1週間たち、1か月たち、生徒さんとレッスンをしているうちにあることに気付く。
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誰でも必ず声は出る
「あ、高い声も低い声も、基本的には出し方は何も変わらないんだ。」
これがわかったのが、23の時。それから、私は研究に研究を重ね、誰でも必ず声が出るようになる方法、というのを自分の中で見つけ出した。
60人という大人数をこの頃レッスンをしていた経験が活き、次第にアナウンサー、ナレーター、など当時の地元ではお知り合いになるのに珍しい方々に巡り合え、他本職の方にもご縁が出来、とても充実していった。
そして今だに地元にも縁のある私は最近では地元で
「出なくなった声を出るようにしてくれる魔術師」
として、口コミのみで年配の生徒さんの間に広がりつつある。
今後はそんなボイトレの技術を惜しみなく提供していこうと思っている。ボイストレーナーになったきっかけは、あの上司の一言。それがなければ、今頃はフリーターにでもなっていたかもしれない。もっと言えば、大本の音楽教室に入るきっかけになったのもアルバイト求人雑誌。
基本的に、就職活動とか、スーツに黒髪だとか、そんなのも大嫌い。アルバイトのつもりで行ったら欠員が出てたまたま社員登用だった。でも最後は学校の中心核の講師になっていた。
こんな私のボイトレHOW TOだからこそ、たぶん他所にはまったくないものが出来ることを期待してほしい☆
読んで頂いてありがとうございました。
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